「すごいですね」と言われて、反射的に「いえいえ、全然そんなことないです」と返す。
謙遜のつもりで言った言葉なのに、気づけば自分でも本当にそう思い込んでいる。
不思議なことに、実際に能力が高く、実績もある人ほど、この「いえいえ」が口癖になっていたりします。自分を過小評価してしまう人ほど、実は価値が高い。今日はこの逆説について書いてみます。
なぜ、できる人ほど自分を過小評価するのか
何かを学び始めたときは、できないことばかりで、一つひとつのステップを意識しながら進みます。ところが習熟していくと、いつの間にか意識しなくても自然にできるようになっていく。
ここに落とし穴があります。「意識しなくてもできる」は、「特別なことではない」に、いつの間にかすり替わってしまうのです。あなたが自然に、当たり前のようにやっていることほど、実は難易度が高く、他の人にとっては喉から手が出るほど欲しいスキルだったりします。
商品やサービスの価値は、自分の「特徴」を基準に測るものではなく、それが相手にとってどんな意味を持つかという「ベネフィット」で決まります。近すぎるものほど、その価値は見えにくくなるのです。
まだ気づいていない資質は、自分では気づけない設計になっている
自己理解のツールとしての気学には、「自分も周りも気づいている表面的な印象」を表す要素と、「本人すらまだ気づいていない、活かすと生きやすくなる潜在的な資質」を表す要素があります。
面白いのは、この潜在的な資質は、そもそも本人が最も気づきにくい場所に位置づけられているということ。つまり、「自分には特別なものがない」と感じているとしたら、それはその資質が本当に無いからではなく、まだ光の当たっていない領域にあるからかもしれません。自分で気づきにくいのは、当然のことなのです。
過小評価と謙虚さは、似ているようで全く違う
ここで、大事な区別をしておきたいと思います。謙虚さとは、「自分の価値を認めた上で、それに驕らないこと」。過小評価とは、「価値そのものを認めないこと」です。この2つは似ているようで、まったく別のものです。
今の自分の中に何があるかを正確に認めないまま「まだまだです」と言い続けていると、現在地がいつまでもはっきりしないまま。現在地がはっきりしなければ、そこから先へ進むための一歩も踏み出しにくくなります。過小評価は謙虚さの美徳ではなく、現在地を見ないようにする、ただの回避であることも多いのです。
今日からできる、2つの問いかけ
- 「当たり前すぎて、人に言うのも恥ずかしい」と思っていることは何ですか?(それが、最も価値の高い資質かもしれません)
- 直近1年で、人から感謝された瞬間トップ3は?(あなたが当たり前にやったことの中に、ヒントがあります)
気づいていないだけで、もう十分
自分を過小評価してしまうのは、あなたが劣っているからではなく、価値のありかがまだ見えていないだけです。むしろ、当たり前にできることが多い人ほど、その裏に隠れている資質は豊かです。
「いえいえ」と言う前に、一度立ち止まって、自分が当たり前にやっていることを見直してみてください。そこに、あなたがまだ気づいていないだけの価値が眠っています。

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